社長のつぶやき 第5回

お盆や彼岸会、或いはよそ様での葬儀、テレビ等の放映でしばしば耳にする弔慰の「安らかにお眠り下さい」の言葉は私には痛烈に心に響く。

この職に入った直後、まだまだ猛烈に働いていた父にもよぼよぼ感を感じ、身籠る一年ほど前、父の晩酌の席で私は「親父よ、何でもあの世からでも我々に手を貸せるそうだから死んだら安らかな眠りに着くなどと考えないで、あの世からでも俺の成功に力を貸してほしい。俺も親父の供養は怠りなく必ず努める。」と言うと、いつも悪たれ調子の冗談にウン、とうなずいたが、これも親父のいつもの冗談かと別に気にしていなかった。

身罷かった数年間は、親父との約束通り妻子と連れ立って週に一度の墓参りは続いたが、それが今では妻に連れられて二週間おき程度になっている。

やること、なすこと全てが順調な時や、棚ぼたの幸運(誰かが棚に置いたからお前に落ちたので、お前も善行で何かを上げて置かねばならないと言われていた)に恵まれたとき、お金の融通で一息できたときなどは、親父も彼岸で頑張っているな、親父の御蔭だと心で感じることもしばしばだったが、親父よもう一日早ければもっとよかったのにの不遜の感謝だった。

こんなわけで、よそ人様達の涙を込めた哀悼の「安らかにお眠り下さい」に比べて我が不徳に遅まきながら気付かされ「親父よ、もう良いよ、切りもなし、悪かった、どうか安らかに眠ってくれ。」と人様の唱える「安らかにお眠りください」を痛恨の極みで聞いている有様。

何で死んでからも働き場があるなどと、ほざいたのか、子供時代に聞いたある物語の一説に思い至った。

それは、同じ年端の連れ子と一緒に嫁いで来た継母のえこひいきといじめに苦しめられる、幼くして母を亡くした子の物語で、継母はその子に毎晩寝る前に必ず何かの仕事をさせ、それを片付けるまで寝るなと命じてた。

その子は健気にも何とか終わらせ明け方寝るのだが、いつもやり終えるその子が益々憎くなり、いじめは過酷になり、ある晩今度は出来ないだろうと俵の米を床に撒き散らし、それを元に戻してから寝る様にと言い付けた。

今度ばかりはもう駄目だと途方に暮れながらも集めていると、そこに亡くなった優しかった実母の幽霊が現れ一緒に手伝ってくれ朝までに終えるという物語だった。

毎日変わるそのいじめの話に恐さと同情で妙な興奮もいつしか忘れ、ある日、人様の「安らかにお眠り下さい」を耳にし、どうもこれが親父への暴言の下敷きだったと、これからが本当の供養だと苦笑した次第。

この物語はその後も続き、その子は母親の助けで継母から逃れる話で終わっている。

今日このお盆日に文筆を終える。